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ゆく|夢をかなえるためのブログ|

大人からの初心者ピアノ11年目/作曲/語学/バッハ/東京都出身

楽典の最初の方を読み飛ばしていた

こんにちは、ゆくです。

 

楽典の最初の方に、音符の解説が書いてあります。

 

簡単だと思い、読み飛ばして先に進むと、いきなり難しい内容になっていく。

 

最近、作曲を志している中で、実は自分は音符を自由に書く力がないのでは、と感じています。

 

読み飛ばしていた楽典の音符の解説を、もう一度よく読んでいます。

 

簡単な英語の文章を読めても、書くことは以外と難しいという感じと似ています。

 

楽典が途中から難しくなっていくように感じるのも、音符の理解が十分にないままに、応用を学ぼうとしているからなのかもしれません。

 

楽典の最初の方に書いてある、読んで当たり前のように感じる様々な種類の音符を、自分なりに楽譜に書いてみて、使いこなせるようになって初めて、その先の難しい理論に進むことができるのではないか。

 

ということで、作曲の前に、まずは簡単な楽譜を書き起こしてみることからスタートしたいと思います。

 

 

分かる、分からないというギャップを埋める方法

こんにちは、ゆくです。

 

ピアノを弾いていると、簡単に弾ける部分とそうではない部分が出てきます。

 

このような、すぐに分かるものと、そうではない部分はなぜ生まれるのか。

 

それはおそらく、経験したことがあるものは理解がはやく、初めて出会うものは理解が遅いという理由によるものです。

 

この、分かる、分からないというギャップを埋める手順は、まずはじめに、知識を深めることです。

 

次に、調べたことを実行してみる。

 

そして、理解できるまで反復する。

 

一方で、マインドセットも重要です。

 

それをすると、自分にどんないいことがあるのかということをじっくり考えてみる。

 

マインドセットという基盤があれば、努力は継続できます。

 

マインドセットをして、反復すること。

 

これが、分かる、分からないの間にあるギャップを埋める一番の方法です。

払うことで、空気を変える

こんにちは、ゆくです。

 

払うという言葉があります。

 

例えば、ほうきで、ほこりを払う。

 

この場合、掃除の意味合いに加えて、清めるというニュアンスも含みます。

 

この、払うという言葉が、私は結構好きです。

 

何となく、家にいて集中できないときは、ほうきを使って、ほこりと一緒に悪い空気も払いたくなります。

 

最近は、目に見えないものが、実は存在しているのではないかと思えてきて、その目に見えない何かを意識します。

 

そして、それを整えると、不思議と集中ができます。

 

このように、良い空間をつくることも、創作には必要なのではないかと感じています。

 

 

つくるとは何か

こんにちは、ゆくです。

 

つくることを目標として、ブログを書いていると、そもそも「つくる」とは何か、考えるようになります。

 

音楽や絵画など、アートと呼ばれるものは、間違いなく創作といえます。

 

例えば、音楽は、音の周波数の比率を整えることで生まれました。

 

また、絵画も、構図の比率を整える作業でもあります。

 

そう考えると、「整う感じ」を生み出すことが「つくる」ではないか。

 

もっと言えば、「つくる」とは「整然さを取り戻すプロセス」ではないか。

 

世界は放っておくと、どんどん無秩序になっていきます。

 

しかし、無秩序の中にも、整然さを取り戻そうとする心を人は持っている。

 

つくりたいというモチベーションの出発点は、無秩序な世界を整えたいという心なのかもしれない。

 

そう考えると、つくることに対する見方が変わってきます。

 

例えば、散らかった部屋を片付けることや、きれいに洗濯物を干すことも、整然さを取り戻すプロセスという意味では、「つくる」カテゴリーに含まれます。

 

物を生み出すことだけが、つくることではないということです。

 

このことに気づいてから、つくることへのハードルが下がり、自分は毎日、何かをつくっているのだと思えてきて、うれしくなります。

 

それは、どこかにつながっているかもしれないという感覚

こんにちは、ゆくです。

 

一見関係ないものが、実はつながっているということがあるのかもしれません。

 

例えば、ピアノを弾いていると、料理がうまくなる。

 

部屋のテーブルや椅子をきれいに並べると、英語力がつく。

 

理論的に説明できないことが、本当はたくさんあるのかもしれません。

 

物事の、底を流れるものは、意外と同じで、何かに集中して取り組めば、ひとつのものが他の道につながるのではないか。

 

私たちは、その共通した何かを感じとる力があるのだと考えています。

 

そう考えると、目の前の些細なことが、その奥底では、たくさんのものにつながっているイメージが持てます。

 

取るに足らない、ばかにできるようなものなんて、一つもないんじゃないかと思えてきます。

 

どれも、何か大きなものにつながっている。

 

そのイメージを持つと、毎日を大切に過ごせます。

 

つくるとは、大げさなことではなく

こんにちは、ゆくです。

 

何かをつくりたい思いが、日に日に強くなっていき、まずは音楽を作ろうとしています。

 

音楽を作るためには、学ぶことが多く、とても難しい。

 

つくるとは、大変なことだなと思いながら、ふとした時に、つくることは、そんなに大げさなことじゃなくてもいいのかなと、考えました。

 

例えば、今、目の前にあるもので、つくることができる。

 

部屋をきれいに掃除することは、良い環境をつくることとと言えます。

 

多分、世の中は、いろんなもので散らかっているから、それを整理して、もう一度、あるべき姿にするプロセスが発生する。

 

それを、「つくる」というのではないか。

 

日常においても、目の前のものを、そのようにつくることができる。

 

そんな漠然とした考えが頭に浮かび、それは何だか自分にとってちょうどよく、いつでも、つくることができるのだと思うと、うれしくなります。

書いて浄化する

こんにちは、ゆくです。

 

ブログを書く目的は、心の整理であることが多いかと思います。

 

書くと、何となく落ち着く。

 

日常を過ごすと、認識の違いで人とぶつかったりする。

 

あるいは、一人でいることに寂しさをおぼえたりする。

 

そのような、言葉にできない、でも感覚では感じ取っている違和感を、言葉にできると、癒されます。

 

人は、自分の気持ちを書いて、心を浄化させることができるようです。

 

また、自分の中に強い目的を持っていれば、1日を過ごした後に、その目的と自分の行動が、どのくらいフィットしていたかを振り返って書くことで、明日の活力を取り戻したりできます。

 

私のブログは、だんだんと、自分の心の中を描くようなものが多くなってきたように思います。

 

癒しを求めているのかもしれません。

 

最初は、趣味のピアノのことについて書いていましたが、それを掘り下げていくと、結局は自分の内面に行き着くということですね。

 

また、その内面というフィルターを通して、別の趣味につながったりすることもありそうです。