こんにちは、ゆくです。
語学や音楽を勉強するのが結構好きです。
語学と音楽には似ているところがあります。
例えば、文法や和声などのルールがあり、言葉や音というツールを組み合わせることで、さまざまなことが表現できるところです。
また、その組み合わせの仕方は無数にあり、文化や時代の流れ、歴史の影響を受けることで、色合いが変わってきたりします。
また、語学と音楽は、表現に至るまでの時間の積み重ねに尊さが感じられます。
語学について書きます。
人は考える時に言葉を使います。
もっといえば、日本人の場合、日本語を使って考えます。
つまり、日本語の範疇で、考えていることになります。
例えば、
「昨日、京都に行ったんだ。」
「へぇ、そうなんだ。」
みたいな会話があったとします。
普通に会話は成立していますが、ほかの言語と比較すると、日本語は誰とどのように行ったかなどの詳細をあまり語りせん。
文脈で何となく分かるからです。
どちらかというと、漠然とした捉え方を日本人は好みます。
「昨日、京都に行った」はドイツ語だと、
「Gestern bin ich nach Kyoto gefahren」
となり、一人称の私(ich)が加わるのは、英語などと同じですが、さらに「行く」という言葉も、「fahren(乗り物で行く)」を使わなければいけません。
ドイツ人は、どのような手段で行ったかまで言わないと気がすまないようです。
一語で厳密に意味を定義するメリットは、指示を出す時にスムーズという点です。
「行きなさい」だと、歩いて行けばいいのか、乗り物に乗って行けばいいのか、分かりません。
その点、fahrenを使えば、一語で乗り物で行くということが分かります。
おそらくですが、領土が敵国と隣りあっている国は、戦争が起きやすく、集団同士で戦うときに、言語が厳密に定義されていた方が、指示の出しやすさという点で、相手より優位に立てるという考え方が根づきやすいのだと思います。
語学を学ぶと、その国の歴史が垣間見られておもしろいです。